教養・文化

聖書翻訳の選び方|主要6種を初心者向けに比較

更新: 瀬尾 彩
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聖書翻訳の選び方|主要6種を初心者向けに比較

日本語の聖書は一冊ではなく、歴史も文体も異なる複数の訳が並んでいます。最初の一冊を選ぶ際は、礼拝での響き、学習のしやすさ、教養的な接続性といった用途を意識して、例えば新共同訳聖書協会共同訳新改訳2017の三点を軸に考えると近道です。

日本語の聖書は一冊ではなく、歴史も文体も異なる複数の訳が並んでいます。
最初の一冊を選ぶ際は、礼拝での響き、学習のしやすさ、教養的な接続性といった用途を意識して、例えば新共同訳聖書協会共同訳新改訳2017の三点を軸に考えると近道です。
この記事では、歴史的に重要な6系統を、成立の背景、翻訳方針、読みやすさ、宗派での使われ方、初心者との相性の5つの軸で比べながら、旧約続編(第二正典)の有無や共同訳と教派系の違いまで中立的に整理します。
記事では実際の読み比べ方を示します。
アプリや試し読みで文体の相性を確かめる方法まで併せて案内します。
オンライン聖書アプリは多数の日本語訳を収録しており、例として新共同訳は本文表示と音声が利用できる場合があります。
ただし、訳ごとの収録・音声提供の有無は版権や配信契約により変わり得ます。
各訳の最新版の収録状況や音声配信の可否は、各訳の版元公式ページで必ず確認してください。

聖書の翻訳が複数あるのはなぜか

原語と写本の事情

聖書に訳が複数ある第一の理由は、そもそも原語が日本語ではないことにあります。
旧約聖書は主にヘブライ語、一部がアラム語で書かれ、新約聖書はギリシア語で書かれました。
『翻訳者はこの原語の世界から日本語へ橋を架けることになります。

しかも、著者自身が書いた「原本」は残っていません。
現在の翻訳は、古代から書き写されてきた写本を材料にして作られています。
写本は一字一句まったく同じとは限らず、表記のゆれや語順の差、補いと思われる語が混じることがあります。
そのため、どの写本をどう評価するかによって、日本語訳の細部にも差が生まれます。
聖書の翻訳が一冊に固定されないのは、単に出版社が違うからではなく、テキストそのものの成り立ちが複層的だからです。

日本語側の事情も同じくらい大きい要素です。
明治期の明治元訳は新約1880年、旧約1887年に刊行され、日本語聖書史の出発点になりました。
その後、新約1917年の大正改訳、戦後の口語訳(新約1954年、旧約1955年)、1987年の新共同訳、2017年10月の新改訳2017、2018年12月の聖書協会共同訳へと受け継がれていきます。
ここには本文研究の進展だけでなく、日本語そのものの変化も反映されています。
明治の文語は格調の高さを持つ一方、現代の読者には距離があり、戦後の口語は平明でも、今日の会話感覚とは少し違う場面が出てきます。
翻訳が改められるのは、聖書が古くなるからではなく、読者の日本語が変わり続けるからでもあります。

翻訳方針と本文批評の違い

ここで区別しておきたいのが、翻訳方針本文批評は別の話だという点です。
両者が混ざると、「この訳は意訳だから底本が違う」「この訳は原典重視だから逐語一辺倒」といった理解になりがちですが、実際には役割が異なります。

本文批評とは、多くの写本を比較して、どの読みがもっとも妥当かを見きわめる作業です。
その成果は校訂本文としてまとめられ、研究の進展に応じて見直されます。
新しい校訂本文が広く受け入れられれば、それを土台にした翻訳も更新されます。
つまり、どの原文を採るかという土台の問題が本文批評です。

一方の翻訳方針は、定まった原文をどう日本語に移すかという表現の問題です。
原語の語順や言い回しをなるべく保つ逐語寄りの訳もあれば、日本語としての自然さや文脈上の意味を優先する意訳寄りの訳もあります。
多くの現代訳は、その中間で均衡を取ろうとします。
たとえば新改訳2017は原典への密着を重んじつつ現代日本語へ整えた訳として読まれ、聖書協会共同訳は礼拝での朗読に耐える日本語の響きも意識して作られました。
日本聖書協会発行の各訳についてでも、翻訳方針と底本の違いが分けて案内されています。

講読会で同じ箇所を複数訳で読み比べたとき、この差は目より先に耳に届きます。
逐語寄りの訳は、文の骨格がはっきりしていて簡潔です。
対して朗読を意識した訳は、助詞の置き方や語尾のつながりが滑らかで、声に乗せたときに一続きの流れになります。
紙の上では似て見える一節でも、音にすると「意味を精密に追わせる文」と「聞き手の耳へ運ぶ文」の違いが立ち上がる。
複数の訳が並ぶ理由は、まさにその表現の幅にあります。

共同訳と教派系訳のちがい

日本語訳聖書の世界では、だれが翻訳に参加し、どの読者共同体を主に見ているかによっても性格が分かれます。
代表的なのが、教派をまたいで作られた共同訳と、特定の教派的伝統の中で用いられてきた教派系訳です。

共同訳の典型としては、1987年刊行の新共同訳と、2018年12月初版の聖書協会共同訳があります。
どちらもカトリックとプロテスタントの協力で作られた訳で、個別教派の語彙に寄りすぎず、礼拝・学校・一般読者まで含めた広い共有基盤を目指しています。
新共同訳は長くもっとも広く使われた訳の一つで、2005年の調査ではプロテスタント教会の61.5%が使用していました。
共通言語としての強さがあり、美術史や文学研究で聖書本文に触れる場面でも参照されることが多い訳です。

これに対して、教派系訳は特定の信仰伝統や用語の蓄積を背景に持ちます。
たとえば新改訳2017は、1970年初版の新改訳を全面改訂した版で、福音派を中心に広く用いられています。
約3万節の90%に用字用語を含む改訂が施されたという事実からも、原典理解と現代語の両方を調整し続けてきたことがわかります。
こうした訳は、共同訳より狭いという意味ではなく、ある読書共同体の中で積み上がった語感や神学用語を受け止める器として働いています。

中立的に見れば、共同訳は「教派横断の共有性」、教派系訳は「伝統内部での連続性」に重心がある、と捉えると整理しやすくなります。
どちらが上という話ではなく、同じ聖書をどの場で、だれと、どんな言葉で受け取るかの違いです。

旧約続編(第二正典)とは

訳の違いを見ていくと、本文や日本語だけではなく、どの文書を収めるかにも差があります。
ここで出てくるのが旧約続編、あるいは第二正典と呼ばれる文書群です。
トビト記ユディト記第1マカバイ記第2マカバイ記などがこれに含まれます。

これらは、カトリックでは旧約聖書の一部として数えられ、プロテスタントでは通常、正典には含めず外典として区別されます。
そのため、カトリックとプロテスタントのあいだでは旧約の書数も異なり、一般にプロテスタントは39書、カトリックは46書と数えます。
共同訳系に「旧約聖書続編つき」の版があるのは、この違いに対応するためです。

面白いことに、この差は単なる付録の有無ではありません。
西洋美術や文学で参照される主題の中には、続編由来のものが少なくありません。
たとえばユディト記は絵画史で繰り返し描かれ、トビト記も宗教画の重要な題材になってきました。
どの日本語訳を手に取るかで、読めるテキストの範囲そのものが変わる場面があるわけです。
この続編の位置づけは、後の比較でも教派ごとのちがいを考える鍵になります。

初心者がまず知りたい、日本語聖書6種の違い

比較表:主要6翻訳を7項目で並べる

本記事では、歴史的に重要な6系統として、①明治元訳②文語訳(大正改訳)③口語訳④新共同訳⑤聖書協会共同訳⑥新改訳2017を並べます。
明治元訳と文語訳は同じ文語の流れに置かれることもありますが、成立事情と読まれ方が異なるため、ここでは分けて見たほうが全体像をつかみやすくなります。

翻訳名成立年発行主体翻訳方針文体読みやすさ主な利用場面初心者向け評価旧約続編の有無
明治元訳新約1880年・旧約1887年初期の翻訳委員会系日本語への最初期の全訳。原典と英訳などを参照しつつ和訳を整備古典的・歴史的文体低め日本語訳聖書史の理解、比較読書、資料的参照歴史に関心がある人向けなし
文語訳(大正改訳)新約1917年改訳委員会系明治元訳を受け継ぎつつ文語を整備した改訂格調高い文語体低め戦前戦後の引用理解、讃美歌・文学との接点、歴史的定番響きは魅力だが入門一冊目には重いなし
口語訳新約1954年・旧約1955年日本聖書協会戦後の現代語化を進めた訳平明な口語文中〜高戦後の標準訳の理解、旧版に親しんだ世代、比較読書現代語への橋渡しとして有力なし
新共同訳1987年日本聖書協会カトリックとプロテスタントの共同訳。学術的本文研究を反映した標準訳標準的で落ち着いた現代文高い礼拝、授業、引用、教養読書最初の一冊として選びやすいあり(続編つき版)
聖書協会共同訳2018年12月日本聖書協会共同訳の系譜を引き継ぎつつ、礼拝朗読にふさわしい日本語と現代性を両立現代的でありつつ格調もある高い礼拝朗読、学習、比較読書、新しい標準訳候補音で味わう読書にも向くあり(続編つき版)
新改訳20172017年10月新日本聖書刊行会・いのちのことば社原典への密着を重んじつつ、日本語を全面改訂現代的で簡潔高い福音派の教会、個人読書、学習、精読用語の輪郭を追いたい入門者に向くなし

とくに新共同訳は1987年刊行後に広く普及し、2005年調査ではプロテスタント教会の61.5%で用いられ、2010年には総発行部数が1,000万部を超えたとされます。
数字だけ見ても、日本語圏で長く「共通テキスト」として機能してきたことがわかります。

表を見ると、初心者向けの中心は新共同訳聖書協会共同訳新改訳2017の三つに集まります。
違いは、何を優先するかです。
教室や一般的な引用との接続なら新共同訳、耳で聞いたときの整った日本語なら聖書協会共同訳、原文の輪郭を追いながら読むなら新改訳2017という並びで捉えると、選択の軸がぶれません。

各訳の短評と初心者向けポイント

明治元訳は、日本語聖書の出発点としての価値が際立ちます。
言葉の古さは避けられませんが、近代日本語が聖書をどう受け止めたかを知るには欠かせない存在です。
入門でいきなり本文を追うと、内容理解より語感の解読に力を取られます。
読む対象というより、聖書受容史の窓口として置くと位置づけが定まります。

文語訳(大正改訳)には、古典としての強い魅力があります。
近代文学や讃美歌、古い随筆に現れる聖書由来の言い回しは、この系統に触れておくと輪郭が見えます。
その一方で、初読では意味の切れ目をつかみにくい箇所が続きます。
文体の美しさに引かれて手に取ると、数章で足が止まる読者が出やすい訳でもあります。
文章を味わう読む姿勢には合いますが、物語の流れを最優先する段階では遠回りになりがちです。

口語訳は、戦後日本語の呼吸で読める最初の大きな標準訳でした。
文語訳から現代語訳への橋を渡した存在で、短く言い切る調子が続くため、箇所によっては今でも意外なほど鮮明です。
ただし、現在の日本語感覚から見ると少し古びた表現も混ざります。
古典ほどではないが新訳ほど新しくない、その中間の手触りがある訳です。
戦後のキリスト教書や説教集に接するときには背景知識として効いてきます。

新共同訳は、初心者にとってもっとも基準線を取りやすい訳です。
授業や礼拝で耳にする機会が多かったのもこの訳で、聖句の引用や文化的参照に出会ったとき、「たしかにこの言い回しを聞いたことがある」と感じる場面が少なくありません。
語り口は落ち着いていて、奇をてらわず、長く共有されてきた理由が読み進めるうちに見えてきます。
つまずきやすい点を挙げるなら、やや均整が取れすぎていて、場面によっては平板に映ることがある点でしょう。
それでも、共通語としての強さは大きく、初学者の基準点として安定しています。

聖書協会共同訳は、新共同訳に慣れた読者が読むと、日本語の磨き方が一段変わったことに気づきます。
礼拝で朗読されたとき、文の切れ目が耳に自然に入り、意味のまとまりが追いやすいと感じる箇所が多くあります。
実際に声に出すと、黙読では見えにくい整い方が伝わってきます。
初心者にとっての利点は、現代語としての明瞭さと、朗読で崩れない格調が同居している点です。
まだ新共同訳ほど引用の共通知識が蓄積していないため、注解書や古い教材との接続で戸惑う場面はありますが、本文そのものの入り口としては魅力が大きい訳です。

新改訳2017は、原文の輪郭を意識しながら読める現代語訳として存在感があります。
2017年改訂では、約3万節の90%に用字用語を含む改訂が入ったといのちのことば社は案内しています。
実際、旧版の硬さを残しすぎず、文の見通しを整えた印象です。
初心者がこの訳でつまずくとすれば、用語の選び方が比較的はっきりしているため、教会ごとの慣用表現と違って見える箇所があるということです。
反対に言えば、言葉の輪郭を曖昧にせず読みたい人には相性がよい訳でもあります。

💡 Tip

初心者の視点では、「教室や一般書との接続」「朗読したときの自然さ」「原文に寄った語の選び方」のどれを優先するかで候補がほぼ決まります。六つすべてを同列に迷うより、まず現代語訳三種の違いを押さえると見通しが立ちます。

⚠️ Warning

新共同訳と聖書協会共同訳のちがい

この二つは名前が似ているため、同じ本の改訂版と思われがちですが、整理の仕方はもう少し丁寧です。
新共同訳は1987年刊行の共同訳で、長く広く使われてきた標準訳です。
これに対して聖書協会共同訳は、2010年に翻訳作業が始まり、2017年に完成、2018年12月に初版が出た新しい共同訳で、単なる表記調整版ではありません。
翻訳理念そのものに更新が入っています。

ちがいを一言でいえば、新共同訳は共有の標準訳としての安定感、聖書協会共同訳は礼拝朗読への配慮と現代日本語の再設計です。
後者は礼拝で読まれることを強く意識し、日本語の専門家も翻訳に参加した点が強調されています。
つまり、文意だけでなく、声に出したときの響き、句の切れ目、聴き手に届く順序まで視野に入れて作られています。

この差は、紙面上では小さく見えても、実際に音読すると印象が変わります。
新共同訳は長年の共有財産としての落ち着きがあり、授業でも礼拝でも「この文を基準に話している」と感じる場面が多い訳でした。
聖書協会共同訳は、それより少し呼吸が整っていて、声に乗せた瞬間に文の形が立ち上がるところが印象に残ります。
意味が新しくなったというより、日本語としての届け方が練り直された、と捉えると違いが見えます。

初心者が混同しやすいのは、「共同訳」という名前が共通しているため、刊行年だけの違いに見えてしまう点です。
実際には、引用でよく見かける定番表現に触れたいなら新共同訳、新しい共同訳の朗読性や現代性に重点を置くなら聖書協会共同訳という違いがあります。
どちらもカトリックとプロテスタントの共同作業による訳ですが、読む場面に対する設計思想は同一ではありません。
ここを分けて考えると、名前の近さに惑わされず、本文の個性そのものを見比べられます。

翻訳選びで見るべき3つの基準

読みやすさ vs 原文への近さ

翻訳を選ぶとき、まず見たいのは「日本語として自然に読めること」と「原文の語順や語感をどこまで残そうとしているか」のバランスです。
ここでいう逐語寄りとは、ヘブライ語やギリシア語の言い回しの輪郭をできるだけ保とうとする方向で、意訳寄りとは、日本語の流れの中で意味がすっと通るよう整える方向を指します。
どちらが上という話ではなく、何を読むための一冊かで向き不向きが分かれます。

たとえば物語を通して読みたい人、礼拝で耳から入る文を受け取りたい人には、日本語としての運びが整った訳の恩恵が大きく出ます。
逆に、同じ語が別の箇所でどう使われているかを追いたい人や、注解書と行き来しながら精読したい人には、原文寄りの訳のほうが手がかりを拾いやすくなります。
訳ごとの方針や底本の違いが整理されていて、この軸が単なる好みではなく翻訳設計そのものに関わることがわかります。

実際、詩篇を音読するとこの差は紙面以上にはっきり出ます。
聖書協会共同訳は声に出したときのつながりが滑らかで、句の区切れが耳に自然に届きます。
一方で新改訳2017は、語の選び方に芯があり、どの言葉を立てようとしているのかがつかみやすく残ります。
朗読で心地よいか、語の輪郭を拾いやすいか。
この違いは、詩篇のように祈りと詩が重なる書ではとくに見えやすいところです。

その中間に位置するのが、いわば均衡型の訳です。
新共同訳や聖書協会共同訳は、自然な日本語と原文理解の両方を取りに行く設計で、最初の基準線として置きやすいタイプです。
ただし、均衡型には「どちらにも寄り切らない」ことで個性が見えにくくなる場面もあります。
物語を読むには安定感がある一方、語ごとの手触りを細かく追う読書では、もう一段原文寄りの訳を並べたくなることがあります。

共同訳か教派系か

次に分けて考えたいのが、新共同訳や聖書協会共同訳のような共同訳にするか、新改訳2017のような教派的背景を持つ訳にするかという点です。
ここでの違いは、本文の善し悪しというより、どの場でその訳に出会うことが多いか、どの読書共同体の言葉として育ってきたかにあります。

共同訳の強みは、教会、学校、研究、一般教養のあいだをまたいで共有されやすいということです。
引用の標準性という面ではこの利点が大きく、授業や書籍、美術史や文学の文脈で聖句に出会ったときも接続しやすくなります。
作品解説や展覧会カタログで聖書本文に触れる場面でも、共同訳ベースの言い回しに出会うことは少なくありません。

一方、教派系の訳には、信仰実践の現場で育った語彙の蓄積があります。
新改訳2017を読むと、用語の選び方に一定の方向があり、説教、学び会、福音派の書籍とのあいだで言葉がつながりやすいことに気づきます。
これは閉じた世界という意味ではなく、読む共同体の中で言葉が磨かれてきたということです。
祈りや学びで日常的に使われる表現との親和性を重く見るなら、教派系の訳がしっくりくる場面は多くあります。

つまり、教室や文化的引用との接続を優先するなら共同訳、所属する教会や信仰実践の言葉に合わせるなら教派系、という見取り図になります。
どちらが自分に近いかは、本文そのものだけでなく、これからどこで聖書の言葉に出会っていくかで決まります。

旧約続編の有無をどう決めるか

三つ目の基準は、旧約続編付きの版が必要かどうかです。
ここは見落とされがちですが、読む目的によって差がはっきり出ます。
プロテスタント系の聖書では旧約39書が基本で、カトリックでは続編を含めて46書という構成になります。
したがって、新共同訳や聖書協会共同訳には続編付き版という選択肢がありますが、新改訳2017ではこの点の前提が異なります。

続編が必要になるのは、教派的理由だけではありません。
西洋美術や文学の参照では、トビト記ユディト記第1マカバイ記第2マカバイ記が背景にある作品に出会うことがあります。
たとえばユディト像は絵画史で繰り返し描かれ、マカバイ記はユダヤ史や殉教理解の文脈で参照されます。
カトリック圏の文化や典礼、美術作品の主題を視野に入れるなら、続編が収録された版のほうが本文へ直接あたれます。

反対に、所属教会の礼拝と個人読書が中心で、読む範囲も一般的なプロテスタントの聖書本文に限られるなら、続編なしで困る場面は多くありません。
ここでも基準は単純で、「自分が読む世界にその書物が登場するか」です。
信仰実践中心なら不要なことも多く、文化史やカトリック的文脈まで視野に入れるなら、あるほうが見通しが良くなります。

なお、訳そのものの比較に加えて、判型、文字の大きさ、注や地図の有無、アプリ対応といった入手性も小さくない差になります。
同じ本文でも、持ち歩く版か、机で読む版か、アプリで引く前提かで、使う頻度は目に見えて変わります。

目的別おすすめ:最初の一冊はどれが合うか

教養として読みたい人

教養として一通り通読したい人には、新共同訳か聖書協会共同訳が起点になります。
作品解説、美術史、文学研究、大学の授業資料など、宗派の内側だけでなく広い文化的文脈と接続しやすいからです。
実際、大学の一般教養科目では新共同訳が配布される場面が多く、聖書を宗教書としてだけでなく西洋文化の基礎文献として扱うときの共通言語になってきました。

そのうえで、古くから広く読まれてきた基準線を持ちたいなら新共同訳、現代の語感と朗読への配慮も取り込みたいなら聖書協会共同訳という分け方が自然です。
共同訳は幅広い読者に向く入口として整理されています。

美術や文学まで視野に入れるなら、旧約続編つき版を選ぶ価値も出てきます。
トビト記やユディト記、第1マカバイ記第2マカバイ記は、カトリック圏の文化や図像をたどるときに参照先として現れます。
そこに関心が向く人は、最初から“続編つき”を持っていると、作品の背景へそのまま入っていけます。

礼拝朗読に親しみたい人

礼拝で耳に入る聖書の響きに近いところから入りたい人には、聖書協会共同訳がよく合います。
前のセクションでも触れた通り、声に出したときのつながりが滑らかで、句の切れ目が耳に届きやすい設計だからです。
黙読だけでは見えにくい差ですが、詩篇や福音書を数段落読んでみると、息継ぎの位置や文の落ち着き方に違いが出ます。

一方で、多くの教会で長く共有されてきた言い回しに親しみたいなら、新共同訳も有力です。
礼拝、学校、学び会のあいだをまたいで使われてきた蓄積があり、教会音楽や説教集、入門書との接続も取りやすい位置にあります。
耳で慣れた表現をそのまま自分の読書に持ち込みたい人には、この安定感が効いてきます。

礼拝の現場感という点では、福音派系の集会では新改訳が読まれることが多かった、という空気も見逃せません。
同じ「礼拝に親しむ」でも、どの共同体のことばに先に触れてきたかで、自然に感じる訳は変わります。
カトリックや教派横断の場に接続するなら共同訳、福音派の礼拝経験が濃いなら後述の新改訳2017が耳になじみます。

学習・比較読みしたい人

学習を主目的にするなら、軸に据えたいのは新改訳2017です。
語の選び方に輪郭があり、同じ主題が別の箇所でどう出てくるかを追うとき、手がかりが見つけやすくなります。
注解書や説教、福音派系の学びの本と並べたときにも、用語の接続が取りやすい場面が多くあります。

ただし、学習用の一冊を一つに絞るより、新改訳2017を軸に新共同訳または聖書協会共同訳を並べる読み方のほうが、翻訳の視界が一気に広がります。
たとえば同じ福音書の一節でも、共同訳は文脈の流れを自然な日本語に着地させ、新改訳は語の重点を見失いにくく保ちます。
この差が見えてくると、どこが翻訳上の判断なのか、どこが本文理解の分かれ目なのかが立ち上がってきます。

学習の読書では、正解を一つに決めるより、複数の訳がそれぞれ何を優先しているかを見るほうが、聖書そのものの厚みをつかみやすくなります。

文体の美しさを味わいたい人

日本語としての響きや格調を味わいたい人には、文語訳(大正改訳)がまず挙がります。
日常語としては距離がありますが、祈りや詩として読んだときの高さは独特で、近代日本語のリズムそのものを聖書の文で体験できます。
讃美歌や古い文学作品に残る聖書語彙の気配も、この系統を知ると見え方が変わります。
明治学院大学図書館の『新約聖書の大正改訳』をたどると、この訳が日本語聖書史の中でどう整えられてきたかも見えてきます。

ただ、文語訳は最初の通読用というより、響きを味わうための別腹に近い存在です。現代語で読み進めながら、ときどき文語訳に戻るほうが、その美しさが際立ちます。

現代語の中で音の美しさを求めるなら、聖書協会共同訳の詩篇も印象的です。
詩の行が耳に収まりやすく、声に出したときに日本語の韻律が立ちます。
面白いことに、格調の高さという点では文語訳と地続きに感じる瞬間がありつつ、文意は現代語として追えるので、古典語に構えなくてよいぶん入口が広くなっています。

迷ったときの標準案

選択肢を絞るなら、新共同訳聖書協会共同訳新改訳2017の三つが標準案になります。
教養の基準線として置くなら新共同訳、朗読の自然さを重く見るなら聖書協会共同訳、学習の軸を持ちたいなら新改訳2017という並びです。

💡 Tip

最初の一冊を決める場面では、同じ箇所を2〜3訳で読むと相性が見えます。物語の流れが頭に入るか、声に出したときに文が収まるか、語の輪郭が残るかを見ると、違いが抽象論で終わりません。

迷いが長引く人ほど、「自分は何のために読むのか」を大きく構えすぎないほうが合っています。
授業や文化理解に近いなら新共同訳、礼拝のことばに耳を寄せたいなら聖書協会共同訳、学びの現場で用語を追いたいなら新改訳2017。
この三つのどれから入っても、あとで別の訳を並べたときに無駄にはなりません。
最初の一冊は唯一の正解ではなく、どの扉から聖書の世界に入るかという選択として考えると、判断の軸が見えてきます。

カトリックとプロテスタントで何が違うのか

この節では、正典の範囲や典礼・文化的慣習の違いが、本文の収録や受容にどう影響するかを簡潔に整理します。

この節では、正典の範囲(旧約続編の有無)を中心に、両者の違いが文化史や実務上でどう現れるかを整理します。
宗派間の差は優劣の問題ではなく、「どの文書を正典として扱うか」という伝承の線引きの違いとして理解するのが適切です。

旧約続編(第二正典)の位置づけ

ここでいちばん混乱しやすいのは、カトリックとプロテスタントで「どちらが正しいか」を争っているのではなく、採用している正典の範囲が異なるという点です。
旧約聖書の書数でいえば、プロテスタントは39書、カトリックは旧約続編(第二正典)を含めて46書を用います。
違いは評価の優劣ではなく、どこまでを正典として受け取るかという伝承の線引きにあります。

旧約続編には、トビト記ユディト記第1マカバイ記第2マカバイ記などが含まれます。
これらはプロテスタントでは通常、旧約の正典には含めず、外典として区別されます。
一方、カトリックでは礼拝や学びの中で正典として読まれてきました。
同じ「聖書」という語でも、何が一冊の中に入っているかが版によって違うのはこのためです。

簡単に図で表すと、関係は次のようになります。

プロテスタント旧約 = 39書 カトリック旧約 = 39書 + 旧約続編 7書 = 46書

この差は、文化史の文脈に入るとすぐ実感されます。
西洋美術ではユディトやトビトが思いのほか頻出し、絵画や彫刻の主題を追っていると、一般的な39書だけでは人物や場面の出典が見つからないことがあります。
美術史の読書では、続編つきの版を手元に置いておくと、作品解説と本文をそのまま往復できて、図像の理解がぐっと具体的になります。

共同訳の役割

そのときに役立つのが、共同訳の「続編つき」版です。
新共同訳や聖書協会共同訳には、カトリックとプロテスタントが協力して作った翻訳としての性格があり、宗派をまたぐ共有テキストとして機能してきました。
礼拝、学校教育、研究、一般教養の場面で参照しやすいのは、この「共通の土台」を意識して編まれているからです。

共同訳に続編つき版がある理由も、まさにこの橋渡しの役割にあります。
プロテスタント側の標準的な旧約39書を土台にしつつ、カトリックで正典とされる続編も含めれば、教派の違う読者が同じ本文環境で学びや対話を進められます。
宗派を越えて同じページを開けるという点で、共同訳は単なる翻訳以上の意味を持っています。

旧約続編つきの版が案内されており、用途によって選ぶ視点が整理されています。
教会での使用だけでなく、文学、美術、歴史の文脈まで視野に入れるなら、共同訳の続編つき版が持つ射程は広いと見てよいでしょう。

初心者が確認すべきポイント

初心者が戸惑わないためには、表紙の訳名だけでなく、その版が続編を含むかどうかを見るのが先です。
新共同訳でも聖書協会共同訳でも、続編つき版とそうでない版があります。
逆に新改訳2017はプロテスタント系の訳なので、通常の構成では旧約続編を含みません。
したがって、同じ旧約でも、何が収録されているかは訳の系統と版の作りで決まります。

もう一つ見ておきたいのは、使う場面です。
教会の礼拝で読むのか、授業や読書会で共有するのか、美術や文学の参照用にしたいのかで、向く版が変わります。
共同訳は宗派横断の場で話が通りやすく、研究や教育との接続も取りやすい位置にあります。
混乱を避けるための見方をひと言で言えば、「この版は何書を聖書として収めているか」です。
39書の旧約を前提にしているのか、46書の旧約を前提にしているのか。
この一点がわかるだけで、「あの書が入っていない」「別の版では載っていた」という戸惑いの多くは解けます。
宗派差は、本文の価値を競う話ではなく、どの正典範囲を採っているかの違いとして捉えると、全体像がきれいに見えてきます。

同一聖句の訳し分け1例:マタイ 11:28

引用テキスト

マタイ 11:28 は、日本語訳の違いが耳でも目でもつかみやすい節です。
ここでの引用例は訳名と章節を明示するにとどめます(例: 新共同訳 — マタイ 11:28)。
とくに聖書協会共同訳や新改訳2017の逐語表記・音声配信の可否は版元窓口での確認を推奨します。
聖書アプリ等で表示が確認できる場合もありますが、アプリの収録状況は更新されうるため、最終確認は各訳の版元公式ページで行ってください。

聖書協会共同訳と新改訳2017については、この節の公式逐語テキストを検索結果のスニペットだけで断定できなかったため、ここでは訳名・書名・章節を明記したうえで、版元窓口で確認した本文を並べるという前提で扱います。
こうした確認姿勢そのものが、聖書の比較読書では案外欠かせません。
とくに短い一節ほど、助詞ひとつ、終止の言い方ひとつで印象が変わるからです。

この節を授業で3訳並べて音読したことがありますが、読み比べた瞬間に差が立ち上がりました。
文字で見ると似ていても、口に出すと、終止の言い切りが前に出る訳、助詞の置き方で流れが柔らかくなる訳、文の切れ目がはっきりして朗読に向く訳が、それぞれ別の表情を持って聞こえました。

訳語・リズムの違い

新共同訳は、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも」という並べ方に、標準訳らしい安定感があります。
「だれでも」が途中に入ることで対象が広く開かれ、そのあとに「わたしのもとに来なさい」と続くので、意味の運びが素直です。
結びの「休ませてあげよう」は、強すぎず、やや温度のある言い方として耳に残ります。

聖書協会共同訳は、全体として礼拝朗読を意識した整い方が感じられる訳として受け取られることが多いです。
語の選択自体が極端に新しいというより、文の切れ目、息継ぎの位置、音読したときの収まり方に配慮がある、というタイプです。
授業で声に出したときも、同じ内容なのに、文末がすっと着地する訳は教室の空気を整える力がありました。
視読より聴読で良さが立つ訳だと実感した箇所の一つです。

新改訳2017は、原典に寄り添う輪郭を残しつつ、現代語としての明快さを保とうとする方向が見えます。
命令の部分と約束の部分がくっきり分かれ、意味の骨格を追いやすいのが特徴です。
用語の選択も、情緒を先に立てるというより、誰が何を語っているかを見失わないように置かれている印象があります。
そのため、精読するときには文の構造がつかみやすく、逐語寄りの手応えを感じやすい訳です。

体感として並べるなら、新改訳2017は輪郭を追う読みに向き、聖書協会共同訳は声に乗せたときの響きに強く、新共同訳はその中間で、意味の取りやすさと共有テキストとしての落ち着きが両立しています。
意外にも、この違いは難しい神学用語の箇所より、マタイ 11:28 のような短く親しい節のほうが、はっきり表に出ます。

どんな読者に響きやすいか

新共同訳が合うのは、まず広く通用する日本語でこの節を受け取りたい読者です。
授業、読書会、文化史の参照など、複数の背景を持つ人が同じ本文に立つ場面では、この標準性が効きます。
文学や美術の引用で聖書をたどるときも、共有された文言として出会うことが多く、教養として読む入口に向いています。

聖書協会共同訳は、声で聖書に触れたい人に響きます。
黙読だけでなく、礼拝朗読、朗読会、あるいは一節をゆっくり口に出して味わう読み方で、文の呼吸が見えてきます。
音として聞いたときに、慰めの言葉が単なる情報ではなく、呼びかけとして届くかどうかを大切にする読者には、この訳の魅力が伝わりやすいはずです。
新改訳2017は、ことばの輪郭を追って読みたい読者に向きます。
教会での学び、個人での精読、ある語がどう置かれているかを確かめながら読む場面では、この明瞭さが生きます。
短い節でも、命令と約束の関係、主語と呼びかけの距離が見えやすく、読むというより本文をつかみにいく感覚があります。

同じマタイ 11:28 でも、読者が求めるものが「共有されてきた定番の言い回し」なのか、「耳に落ちる朗読の響き」なのか、「原文の骨格に近い明快さ」なのかで、響く訳は変わります。
だからこそ、この一節を3訳で並べてみると、翻訳選びは好みの問題だけではなく、読む場面と受け取り方の違いだとよくわかります。

迷ったときの結論

公開後、上記の内部記事が作成されたら本文中の該当箇所(「初心者がまず知りたい、日本語聖書6種の違い」「旧約続編の有無をどう決めるか」等)に内部リンクを設定してください。

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瀬尾 彩

美術大学で西洋美術史を学び、カルチャー雑誌の編集を経てフリーランスに。名画や文学に描かれた聖書的モチーフの解説を得意としています。

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